戸棚の中の骨

今日も昨日とおなじような日が続く、と思ってはない。
うそぶきながらも、どこかでは信じていたものか。緑のままのイチョウの下、踏みつけにされたぎんなんばかりが目立つ道すがら、にわか雨の冷たさには、裏切りにあったような思いがした。

コンビニで、お湯は提供しておりませんがよろしいですか、と申し渡されたことがあった。切り出す前に断られる面白くなさも手伝い、店を出てからも頭を去らない。
店の前で群れをなすなと、客の区別なく、あらかじめ釘を刺していたのだと気づいたのは、家に近づく頃だった。

タクシーの運転手が、木屋町あたりで客待ちは、近頃しにくくなったとこぼす。
もとより飲み屋が多いあたりだから、急に取り締まられるのも理由がわからない。
たしかに、その頃の夜は、制服姿とライトが目についた。
聞けば、動員の理由は、若者二人組が勤め人から財布を召し上げたあげく、殺してしまった事件。警官が大勢で見張っているから、タクシー側でも、堂々と車をとめるには憚られるのだという。車も人も少ない通りが、不穏にみえた。

目につかないところで何事かは起こっているものだと、日々の確かさを、時折あやしむ。
(2007/10/2)

いつか見たけしき

滋賀の片田舎を、所用あって歩いていた。

駅に程近い路地にある、ふるい玩具屋が目に入る。
いまだにプラモデルを並べて売っているような、木造引き戸のたたずまいである。
戸は閉てきったままに、店の前にある、ブリキ製の「おもちゃ」という立て看板のみが見えた。
いずれ商売がえでもするのだろうか、と通り過ぎなんとするとき、薄暗い店内の中、腰をかがめたおばさんの姿が見える。
店内をすかし見ると、ロボットなどの玩具もあたらしく、在庫を片づけているようすだった。
商い中かと思いや、戸のガラスには「当店はインターネット通販のみ」と貼り紙がしてあることに気づく。
ご近所相手ではいつまでも売れなかった不良在庫が、実はプレミアムがつくのだと気づいたものだろうか。

こちらに背を向けた店主ともども、あたりを拒んでいるように見えはじめる。
なんとはなし、申し訳なさもおぼえながら、足早に通り過ぎた。
(2008/7/26 編集)

或いは情無用のジャンゴ

そんな発想があったのか、と驚かされることは、無上に楽しい。
自分が驚かせることができれば、これも然り。

ずいぶん前、北野誠がなにかの番組で、雑誌の中吊り広告に茶々を入れていた。
うち、女性ファッション誌の見出し「毛穴ゼロで愛され肌」に目をつけ、毛穴がなくなったら皮膚呼吸できないだろう、と物言いをつけて笑いをとっていたのをおぼえている。
女性向けの媒体では、毛穴はなにかと毛嫌いされる。化粧の仕方や手入れの結果として、毛穴が見えなくなるくらいに仕上がったものが良いものとされている。
何人かに尋ねて確かめると、生気がない肌よりも生っぽさ、自然さがいいだろう、ということらしかった。
用語以前に「良い」とされているものが、そもそもちがうようだ。

よく足を運んだ京都の洋食屋は、注文してから出てくるまでにひまがかかった。
置いてある雑誌の中から、女性誌をえらんで持ってくる。この記事の意図するところは予想がつくか、とあてもののようなことを、よくしていた。
見開きの写真、草地に停められた車の脇にモデルが立ち、コピーは「バーベキューで差がつく、カラフルなクロップトパンツ」とのみある。
連れは、いったい何と何で差がつくものかわからないと言う。
バーベキューではみな、汚れてもよい格好をしてくる。その中で目立とうとスカートを着てくるのは場ちがいだから、せめて、きれいな色で他の参加者から目立とうということ。
差をつけたい相手は同性で、目に留まりたい相手は異性だとして、グループデートという設定は、思い切りよく省かれている。あらかじめ察しがつくかつかないか、おおきな溝があるようだった。

また違うときに見た雑誌の「新郎の職業でえらぶ、招かれドレス」という見出しには、しばらく考え込んだ。
新郎の職業と、新婦の友人で招かれる自分とでは、何の関係があるだろう。
記事の内容をながめて、ようやくわかった。
結婚式によばれて、二次会は合コンに似た場になると聞いたことがある。くだんの女性誌は、職業や業界別の好みを探求するに熱心である。新郎が招く同性の友人は、しぜん、同業界が多くなるだろう。
はじめから二次会にねらいをさだめた、逆算思考だということに感心した次第。
(2008/11/10 編集)

水にあらわれるもの

京都の四条河原町あたりは、夜半をすぎるとあぶなっかしい。
水商売の客引きとスカウトがひしめいていて、少しでも目をひくような女性は、横断歩道の信号待ちで足を止めるのもうとましそうにみえる。
繁華街に古都を求めるひとは少ないとしても、始終黒服が目を光らせる歩道を目にしたら、いくらかは幻滅するようにも思う。

すでに水商売に足を踏み入れているのかと思わせる女性を、このあたりでは何度か見かけた。
四条のジュンク堂あたり。
肩をむきだしにしたドレスで、斜めに裁断されたフリルのすそをさばきながら、携帯で話しながら足早に通り過ぎていった彼女。
高島屋一階のフロア。
L字になった細い腕に、服屋の紙袋をいくつもさげた彼女。とりどりに並べられた新色のアイシャドーや何かを吟味している後ろでは、セカンドバッグをさげた背広の男性が、ひかえていた。
四条大橋の西にあった、ドトールの二階。
円卓の一角で、二つ折りの卓上鏡を前に、左手にチョコラBBドリンクを置き、右手には携帯ガスコテ*1の準備おこたりなく、煙草も吸いながら携帯に応じ、化粧も直していた彼女。
自分がいかにもと思った理由は、どこにあったろう。

わきをいろどる小物のせいだけでなく、あわさった何かのような気がしている。華やかな見た目と、事務的なやりとり。どこか投げやりな感じもするのに、慎重な準備。あたりを散らかすだらしなさと、姿勢の正しさ。
どこか、ちぐはぐなものが感じられたせいだろうか。

街中で結婚式帰りと思われるドレス姿を見るたび、同じドレス姿だとして、いったい何がちがうのだろうと、幾度となくいぶかしむ。

*1:巻き髪をつくる円筒状ヘアアイロン

ドトール人間模様

ミラノサンドのCが好きで、ドトールによく通う。
三種あるうち、めまぐるしく変わるCは、アルファベットのA、Bに比べて、いかにも指に引っ掛けたら回りそうな字面をしている。

サイズはどういたしますか、と言われて、少し考えたあとに「なかほどで」と言うご老人。「ショートで」と澄ましたお嬢さん。
書類に判を迫る美人に、すっかり気圧された若者が中央の丸テーブルにいる。
最寄のアールビバンのやりとりが持ち越されてきたものか、金融商品の勧誘か、遠目にはわからなかった。

煙がこごった席に落ち着き、あとからやってきた親子連れ、父親が取り出すマイルドセブンが目の端にとまった。
はじめから険がある会話は、どうやら別居中の生活費交渉のようで、丑の日だというのに鰻ひとつ食べられないと、母親がうったえる。食べたらいいじゃないか鰻くらい、食べられたら言いはしない、「くらい」と言えるのが余裕の証だ。
鰻を軸に、交渉にすりかわる会話をよそに、子供はこちらを向き、あてつけるように何度も咳こんでみせる。
目の前の煙から、さぞ目を背けたかったことだろうと、今では思う。
(2008/5/20 編集)

二十歳で卒業したかったこと

酒でも煙草でもなく。

飲んだり食ったりする店の前に鎮座している、料理見本がむきだしで置いてあるのを見ると、つい指でつついてしまう欲求をどうにかしたい。
よくできているな、どういうこしらえかたをされているものか、思うまもなく、手がのびている。
少しふるめかしい店だと、原料の差もあろうか、指をおしもどす柔らかさがあったりする。冷たさと固さで応じられると、すこしがっかりする。
そのくらいならまだしも、おしゃれカフェだと、本物がならべられていることがままある。
くるくる変わるおすすめの品を、いちいちサンプル製作にまわしたりしないだろう道理は、たいていの場合、遅まきにやってくる。
あとに残るのは、この指をどうしてくれようといういたたまれなさと、見本をそこなってしまった申し訳なさのみ。

気に入りの食品サンプルでも買っておいて、思う存分さわっていたら解消されるものだろうか。
そういうものでもないような気もする。