三社三様

京都の上(かみ)のほうに住んでいたころ、23時を前にバスが終わってしまうものだから、飲み代にはタクシー代を込みにして予定していた。
走る車がまばらになった河原町あたりでは、大きめの車を停めたわきで所在なげにしている若い者と、ゆるゆると流したり、スポットに溜まるタクシーばかり。人がすいた路上は、荒れさびれて見える。

空車が見つからなければ何でもよいのだけれど、相乗りする友人ともども、えらべるものならA社をえらびがちだった。
そのころのA社は、京都のタクシーでは新参で、やや安い初乗り料金と、ていねいな挨拶を売りにしていた。
たしかに荒っぽい口調だったことは少ない。かわりに、どの運転手も道にあかるくない。
目的地を告げたあとに、御池をまっすぐ千本あがって、といったら御池がつうじなかったことがあった。
場所も、通り名よりも所番地でおぼえているらしかった。
昨日までは大阪にいた、今日がはじめて、と何度も聞いてあきらめた。こちらが不案内でなければ、この通りをまっすぐ、次の角を折れてまっすぐ、を何度か繰り返せば目的地には着く。
後日、大阪でA社をひろったら「つい先日まで京都にいたもので大阪に不案内で」と言われた頃、タクシーをえらぶ優先順位は変わりつつあった。

ふたたび京都でタクシーに乗るとき、今度は老舗のB社をあたることにした。
B社の運転手は、碁盤の目を東西に切る細い通り名はもちろん、一方通行であることもご存知だった。
目的地を住所で言われるのと、通り名で言われるのとでは、どちらがわかりよいか訊ねてみる。
頭のなかにあるのは通り名だけれど、何丁目、と言われても一致するように慣らしたという。
いかにも、同じ職をつづけている自信にあふれている。
じつはここに変わったのは最近なんですよ、とつづく。
前はC社にいたが、売上げから上納する条件がきつくてやめたのだという。新車をあてがわれた時に、新車代が別立てでとられたりしたのも気に染まなかったらしい。
今ではよくしてもらっています、と満足そうだった。

京都でタクシーに乗る機会は減ったけれど、それからはB社をえらんでいる。
特にこだわりない友人からは、だったらお気の毒なC社にすべきではないか、と言われりもしたけれど。

B社は、すくない割合で振られたマークを見かけるとラッキーだという噂が、修学旅行生に知れている。
変わったマークの車をあてがわれた場合、別料金をとられたりしないのかは、聞きそびれた。