かさなる偶然

一つの比喩の崩壊と、村上春樹への内なる唆し-沈黙は金なり 〜 PONTATNOP BLOG-

ああ、やっぱり同じ連想を抱いていた方がいた。

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去年から、やけに村上春樹が気にかかりはじめた。
ずっとむかしに、読んでおかねばと思いたち、何冊か読んでみたのだけれど、しっくりこないように思って遠ざかっていた。なぜ今頃になって、というのは、別の経由でカート・ヴォネガット・ジュニア、ジョン・アーヴィング、ポール・オースターあたりを読んでいたら、名前が視界に入ってくるためと、やはり中学生には早かったのかもしれないと思いなおしたからだった。 ものごとにはタイミングがある。

年明けに旧友と長い電話をした際、いまさらだけど読んでみようと思う、と告げた。
友人も近頃気にかかると言う。私とはちがう何冊かを読んで、全部読み通すには至っていないらしい。文体が作品ごとでだいぶちがうから、ひとつが合わないからといって、他が合わないこともないと思うよ、とのこと。
彼女のすすめは『ねじまき鳥クロニクル』だった。

すすめは頭にありながらも、また日をおいてしまい、他の友人と話す。ハルキストだったいう彼女からは『スプートニクの恋人』をすすめられた。再度のすすめにあって、ひまもあいた折、そちらを優先することにした。
ここでは、けして交わらないもの、周回しては見えない向こう側に行ってしまうこともあるものとして人工衛星が象徴とされている。
このあいだ見かけたニュースで、人工衛星が衝突していたことを思い出した。
見ているこちらがわが勝手な結び付き、あとづけの解釈を行っているにしても、印象にのこっている。

必然、とまで言い切るつもりはないのだけれど、やはりめぐりあわせというのはあるのだろう。