かさなる偶然

一つの比喩の崩壊と、村上春樹への内なる唆し-沈黙は金なり 〜 PONTATNOP BLOG-

ああ、やっぱり同じ連想を抱いていた方がいた。

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去年から、やけに村上春樹が気にかかりはじめた。
ずっとむかしに、読んでおかねばと思いたち、何冊か読んでみたのだけれど、しっくりこないように思って遠ざかっていた。なぜ今頃になって、というのは、別の経由でカート・ヴォネガット・ジュニア、ジョン・アーヴィング、ポール・オースターあたりを読んでいたら、名前が視界に入ってくるためと、やはり中学生には早かったのかもしれないと思いなおしたからだった。 ものごとにはタイミングがある。

年明けに旧友と長い電話をした際、いまさらだけど読んでみようと思う、と告げた。
友人も近頃気にかかると言う。私とはちがう何冊かを読んで、全部読み通すには至っていないらしい。文体が作品ごとでだいぶちがうから、ひとつが合わないからといって、他が合わないこともないと思うよ、とのこと。
彼女のすすめは『ねじまき鳥クロニクル』だった。

すすめは頭にありながらも、また日をおいてしまい、他の友人と話す。ハルキストだったいう彼女からは『スプートニクの恋人』をすすめられた。再度のすすめにあって、ひまもあいた折、そちらを優先することにした。
ここでは、けして交わらないもの、周回しては見えない向こう側に行ってしまうこともあるものとして人工衛星が象徴とされている。
このあいだ見かけたニュースで、人工衛星が衝突していたことを思い出した。
見ているこちらがわが勝手な結び付き、あとづけの解釈を行っているにしても、印象にのこっている。

必然、とまで言い切るつもりはないのだけれど、やはりめぐりあわせというのはあるのだろう。

モンキーパンチの名産地

話の継ぎ穂になやむころ、だれに聞いても答は変わらないような質問を投げあうことがある。
たがいの出身地の話題につづき、誰か同郷のものがいたろうか、ああ有名人の何某が、それはそれは。何某を見たことすらなくても、同じものが頭に浮かぶことで、親しみがいくらか増す力をもっている。
『面白南極料理人』(西村淳/新潮文庫を読んでいるさなか、そんなことを思い返していた。

作者は観測部門をささえる設営部門として、南極観測隊に参加した。
料理担当の身で、隊員たちのリクエストに、なんとしてでも応えてやるのだと決めている。
行く手の極地では、なにもかもがかぎられる。出発前の、食料の調達から問題があった。
凍って質が変わるものが大問題。卵と野菜をどうにかしないと、つくれるものが途端にかぎられる。本をあたっても、家庭のちょっとした冷凍庫保存テクニックしか見つからない。

だが執念で探した結果、見つけた!さすがハイテク立国 JAPAN!! 冷凍ジャガイモをまず見つけた。メーカーは本場北海道「ホクレン」だった。 p.30

トヨタレンタリース」「オートバックス」と変わらない。
CMを何年も見ていなくても、「ホ・ク・レ・ン」と音階つきで頭の中に再生されていた。
北海道留萌市出身の作者は、ローカルな名詞をふんだんにつかう。
持ち込む食料に「サッポロ一番みそラーメン」は顔を出すし、愛する食べ物ナンバーワンは「ざんぎ」。
いきおい、極地の寒さにまで入れ込んでしまう。

5月に入った。北海道ではまだちょっと肌寒いが、日中はさわやかな春の風が吹き抜けているはずである。ドーム基地はと言えば、日中の気温は最高でもマイナス50℃くらいまでしか上がらない。マイナス20℃、30℃で震え上がっていたS16作業を思い出し、「そんな熱帯みたいな気温のときもあったんだ」なんてヨタをとばすほど、ここドームの住民は確実に、厳冬期・耐寒・超低温仕様に変わりつつあった。 p.181

マイナス10℃以下が続く旭川で、最高気温がマイナス3℃で「今日はあったかいね」と口走ったあと、自分でもなにかまちがっているな、と感じたことを思い出す。感覚には似たものをみてとりながら、より倍加する寒さはつかめない。あるある、と、ないない、が交互にやってくるのがむしょうに楽しい。

オネエことばを駆使するメンバー、福田ドクターがkokoroshaさんに重なって困った。

「雪の中は暖かいと言うけれど、ここはどうなのかしら?ちょっとやってみようかなと思うのだけれど、誰か私を埋めてくれる?」 p.169

マイナス66℃でこんな名言を吐くドクターは、のちの燃料危機を救うスターでもある。

当世道民気質

「北海道の冬はこんな感じ」-北の大地から送る物欲日記-

「北海道の冬はさらにこんな感じ」-くるえるはてなくしょん-

いまさら北海道について。

hejihoguさんとkskmeukさんが北海道について書かれていたのを目にしたあたりから、どうも北海道のことが目につきはじめる。
雪印メグミルク合併、という記事を見ては「よつばは達者かな・・・」、「甘い卵焼きは是か非か」という記事を見ては「赤飯は甘いもんだよな」、苫小牧がギョーザで街おこしをはじめました、と見ては「ファンタジードームがあったのも今は昔」など。

何年も前に北海道から関西に居を移して、まるでなじみがない街の様子におどろいた。
話すことばがちがっている、習慣がちがう、道が不案内でよそよそしく見える以前に、見るからに家のつくりがちがう。
あんな瓦屋根では、上にぶあつい雪が積もってしまえば、瓦ごとすべりおちてしまうのではないか、とはらはらした。(靴を新調するときには、まず底をしらべて、冬道をシミュレーションするのにも似て)
住んでみると「京都は底冷えする」というわりに、寒さ対策がなっちゃいない、こんな薄っぺらい壁や、二重にもなっていない窓、貧弱な暖房では寒いのもあたりまえだ、と独りごちる。

ずっと北の土地から来ているのだから、こっちの冬はたいしたことがないだろう、めったに雪も降らないし、とよく言われた。
いっそ雪は降ってしまえばあたたかく感じるもので、降る直前がいちばん寒い。京都は雪が降る直前、生殺しがずっと続いているからこたえるのだよ、と答えると、みな、一様に納得しかねる顔をしていたようにおぼえている。

冬の帰省で千歳に降りたったときには、さすがに寒い。
けれど、関空から京都駅八条口にもどって、あたたかいとは感じない。 気温差からいうと、ふしぎでもあった。

いつのまにかずれてきている

日経ビジネスオンライン 2009/1/14 若者のクルマ離れ、その本質は「購買力」の欠如

おぼえがき。

車を買わないとされている層は「価値観や生活がかわってきたから車に割かない」と言われがちだった。実は不安定な雇用によって、持つ金額自体が車には見合わなくなってきたのではないか、というようなことが書かれてあった。

一読、さもあらあな、しかし、それを『日経ビジネス』が書くのかとひっかかった。
記事についたブックマークのコメントを見るうち、思いなおした。
ねらいさだめた読者層は、ブックマークに書かれた側(記事に書かれるクルマを買わない層)なのかもしれない。

記事が読まれることで読者は溜飲をさげ、共感をよび、ご納得いただく。 読者と媒体に共犯関係があるとするなら、記事は上の世代に対する警告などではない。新しい読者層にむけたアピールになる。

長い不況でむくわれなかったと思い思われる世代が、いつのまにか中核をなしつつあるのか、とも思えた。

不意にやってくるなにか

http://d.hatena.ne.jp/murashit/20090218#1234975038
2009-02-18 - 青色28号

全国どこの街にも何かしらのドラマがあるんだろうと考えるとどうしても自分の無力さを感じずにはいられません。
註:街を歩きながら周りの人すべてに人生があるのだと考えて気が遠くなるのとおなじように

 murashit先生のここについて書こうと思ったら、ブクマコメントは違う方向に進んでいたので。はたして同じものなのかわからないけれど、私にもそういう気の遠くなりかたがあります。

大学のベンチで友人と話しこんでいたところに、友人の友人が通りがかって、ふたりが挨拶をかわしているとき。
あるいは、梅田の阪急・阪神をつなぐ大きな歩道橋の雑踏で。 ふと、やってくるものがあった。
まわりの人には、それぞれに見えない関係がひらけている。友人の友人には友人がいるだろうし、街行くひとにいたっては、網の目になった先は予想もつかない。それでいて、自分との関係はただ目の前に見える一点しかない。
接点の少なさ、たよりなさは驚くばかりだと思うとめまいに似たものがあった。
疎外されている、といったら言い過ぎなのは知れているのだし、自分も、ひとから見れば同じなのだとも思う。
自分がひとりきりだと思いこむのは、つながりを保ってくれているひとに失礼きわまりない。
それでも、どうしようもなくやってくる感情には、いまだに名前をつけられていない。

iPodのヘッドフォンを深く挿しなおしたり、めっきり少なくなった喫煙所をさがしてしまうのは、そんなときかもしれないなと思っている。

なにかを勧めるのは、簡単なようでむずかしい

∇屁理屈ぬきで一番おもしろかった小説は? [2ch]

ティーヴン・キングはかなり追いかけていた時期があり、今でもベストは『IT(イット)』だと思っている。
これはホラーではなくて、田舎と都市の話でもあるし、ひとの一生にかかわる小説だった。*1
◆前に書いたレビュー
文庫1巻   文庫2巻  文庫3巻  文庫4巻
ただ、いかんせん、これは長い。今まで何度も人に勧めては、「長い」を理由にことわられてきた*2。 次点であげるなら『シャイニング』、『キャリー』『ファイアースターター』『デッド・ゾーン』の超能力三部作。

宮部みゆきの『龍は眠る』は『デッド・ゾーン』、『鳩笛草』は『ファイアースターター』、小野不由美屍鬼』は『呪われた町』を意識している*3から、そこをとっかかりにしてみるのも良い。
歴史ものを読むには「歴史」「歴史上の人物」に詳しくなければ楽しめないんじゃないかと思うと、腰が引ける。歴史小説好きな人がよく話題にのぼらせる人物名は、さっぱりだ。歴史そのものについても明るくない。それらが自明のこととしてあつかわれていたら、きっとついていけない。
そう思うことがあるのだとしたら、司馬遼太郎は敷居が高いような気がする。 隆慶一郎影武者徳川家康』はどうだろう。
徳川家康が、ある時点から別人といれかわっていた、とする。その人物とは?いれかわったタイミングは?いれかわりが許された理由は?すべておもしろいうえ、各国戦国武将の名前や、特別な知識はいらない。
そのあと、同著者『吉原御免状』、網野善彦『日本の歴史をよみなおす(全)』にすすむと、長く楽しめる*4
気になっているにもかかわらず、なぜ自分は今までそれを読んでこなかったのか、は人ごとに違うのだろうし、原因が「時間」であるかもしれないけれど、本当に読みたかったら、時間はつくれる。小説から遠ざかっていたために、うそばなしを受け入れる力がおとろえているのかもしれない。
新しいものに手を出すときのおっくうさが、どのあたりにあるのかがわかれば、読みたい本に少し近づけるような気がしている。

*1:最近読んだ『ホテル・ニューハンプシャー』は近いところがある

*2:しかしキングはだんぜん長編が良い

*3:屍鬼』の献辞は『呪われた町』の舞台、セイラムズ・ロットに捧げられている

*4:よしながふみ『大奥』、みなもと太郎風雲児たち』にすすむと、さらに長く楽しめる。